趣味が仕事に変わる時
こんにちは!
今週は私のスノーボードが仕事に変わった瞬間の話をしていこうとおもいます。
私の両親はいつもどんな時も、自分の人生は自分で選択させてくれました。
人生で初めての選択は、「スノーボードを真剣に始めるか、辞めるか」でした。
この時私は小学2年生の8歳でした。
ターンが出来かけていたので、スノーボードを真剣に始めるのことになりました。
そして2度目の選択は、「高校を普通校に通うか、通信制の学校に行くか」でした。
この時点でJAPANチームに入ることが決まっていた事と、中学の友達が居なかった事もあり、クラーク記念国際高等学校へ。
この選択がスノーボード中心の生活の始まりになりました。
中学3年生の13歳の頃には、SG snowboardsの見習いライダーにしていただいており、撮影に参加していました。
しかし、ライダーとしての意識は、ぼんやりとしか持っていませんでした。
その後高校1年生の16歳の時、SG snowboardsとUPZBOOTSとTURNS Tune up Factoryから正式にサポートしていただけることになりました。
見習いでもなく、あの憧れの選手達と同じライダーになれることをとても喜びました。
そして浮かれていた時ある方に、「例えば板を2本サポートしてもらったら2本以上売らないとダメなんだよ。ライダーとはそう言うことなんだよ。」と教えていただきました。
そこで私はハッとなり、気付きました。
今まで趣味で続けてきたものが、仕事になると。
その覚悟がなければ、契約書に判子は押してはならないと。
ファンも居ない、営業スキルもない、ただの16歳の私は、自分がすごくちっぽけに感じました。
それと同時に、そんな私を応援し、期待してくださるメーカー様があることをとても嬉しく思いました。
その期待を裏切ってはいけない、まだまだスノーボーダーとして有名になりたい、そんな気持ちで覚悟を決め、判子を押しました。
そこから8年間もっとたくさんのメーカー様からサポートしていただけるようになり、ずっとライダー活動を続けています。
16歳の時言われた言葉を1度も忘れたことはありません。
今ではそれだけがライダー活動ではないと思っています。
覚悟を決めて契約書に判子を押した時の事を忘れず、これからもサポートしてくださるメーカー様の期待に答えられるように日々精進していきたいと思います。
そして今度はそれを、後輩達に伝えていきたいと思います。
華子
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